書評一覧
◆日経新聞 2002.03.31
朝刊チベットを訪問してそこに暮らす人々を撮り下ろした写真集。初めて訪れた1988年、青い絵の具の塊のようなナムツォ湖周辺の景観の魅力にとりつかれ、チベット通いが始まった。未知の町をひたすら奥へ奥へと歩き、ある時は大規模な反中国デモに遭遇、ある時は寺院で僧侶と寝食を共にしながら夢中でシャッターを切った。人々は仏教の教えを純粋に受け継いでおり、その信仰心は途方もなく厚い。特に巡礼者がしゃくとり虫のような動きを何百回何千回と繰り返し礼拝する姿には心を打たれる。著者は「モノに満たされた我々の日常生活で、それほどの喜びが得られる機会がどれくらいあるだろうか」と、問いかける。
◆共同通信配信記事 2002.03.20
十四年にわたり中国・チベットに通い続けたカメラマンの作品集。険しい山々に囲まれたやせた大地。死者を鳥に食わせて葬る無常の地。「秘境」で著者が見つめたのは、人々の暮らしだった。かの地でも人は食い、遊び、笑う。宗教的側面だけ語られることが多いチベットだが、著者がとらえた庶民の表情は温かい。 一方でチベットにも確実に近代化の波は押し寄せている。破壊と建築が交錯する街角。伝統衣装で盛装した女の子も、羽織るのはブレザー、頭にかぶるのは香港返還を祝うプレート付き帽子。優しさをたたえながらも冷徹に、著者は「チベットの今」を切り取った。粒子のほど良く荒れたモノクロ写真が郷愁を誘う。
◆CAPA誌(学研) 2002.5月号
作者がチベットを探し求めたのではなく、むしろチベットが作者の訪れを待っていたかのようだ。本書を通じて、チベットはこれまでになかった輪郭とともに発見される。宗教観とも冒険心とも違う写真家の視点で、ありのままを見つめること。そのリアリティが、本書だけに備わる魅力を発揮している。中国西方、インドとの国境付近に位置するチベット自治区。中国政府から見れば辺境の未開地であり、報道規制ゆえ情報も少ない。そんな未知の国を放浪し、作者がフィルムに焼きつけた一期一会に、見る者の心も踊る写真集だ。
◆公明新聞・柳本尚規東京造形大学教授 2002.6.21
空気が澄み、それゆえに目に鮮やかな原色が際立つ、そういう光景への印象が強く刷り込まれているチベットの高地生活風景だが、この写真集は黒白であり、目にというよりも、脳の感覚に染み込んでくるような思いに浸される。黒白の写真には、カラーの写真では目立ってこないようなその物自体の存在哲学が漂ってくる感じがある。世界が単純化されるということではないのだが、情報の質量が少ない分だけ、黒白の写真では読者の頭の中での想像が活発になってくるのだろうか。足りない分だけ豊かさがある、満ちたりた分だけ失ったものがある、とも思わせられるのだが、こういう感慨はこの写真集に写されているチベットの人々の世界の質からも教えられるものだ。作者の柴田氏のチベット通いはもう随分長いようだ。中国との確執やチベット人々の独特な価値観に<生きているチベット>を実感する作者だが、その根底にあるのは「未知の町をひたすら歩き回る喜びが旅の根底にはある。どちらかというと寂しげな路地を、あの曲がり角を、あの坂道をと、奥へ奥へひたすら歩いていくとき、気分が高揚する」とあとがきに書く作者の動機なのだろう。ひたすら歩き回る喜びを実感することというのは、存外に難しいことだ。しかしこの写真集にはその気持ちがどの写真にも写りこんでいるように見える。そのことによってチベットのもう一つの世界としての存在感が強く示されるものとなっている。自分たちの文化とこれほどまでに離れた文化を<知る>ためには、表面よりも内面に関心をひきつける特性を持つ黒白写真の能力が必要なのではないだろうか、と、私はあらためてカラーや黒白の写真の特性を考えさせられた。
◆時事通信配信記事 2002.03
山上のポタラ宮、路地裏の住民の姿、ヤク牛を放つ高原の風景…。若手写真家による初の作品集だ。ここに収められている中国西方、チベットの様子は、被写体としては決して珍しくはない。だが、通い詰めたこの地、そこに住む人々への写真家の真摯なまなざしが、チベタン(チベット人)から穏やかな表情を引き出している。チベットへの関心は、小学四年の時、教室につり下げられた世界地図を見て以来。高地を示す茶色の部分ではなく、そこにぽつんぽつんとある、水色の湖を記憶し、学生時代にその一つ、「ナムツォ」を訪れ、衝撃を受けた。通信社の写真部で働いた四年間「心の中はいつもチベットへの片思いがうずいていた」という。何度も重ねた訪問では、言葉を学び、普通の人と接し、そして歩いた。その十年間を集大成した。いわゆる撮影行ではなく、チベットの日常に溶け込まなければ生み出せない力強さが、モノクロームにみなぎる。